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      「みにくいあひるの子」だった私70

      時間: 2019-09-23    進入日語論壇
      核心提示:彼の背景「あいつは軽薄(けいはく)だ」彼は人一倍、他人に気をつかう。それがときに裏目に出て、私の父のような性格の人には、
      (單詞翻譯:雙擊或拖選)
      彼の背景

      「あいつは軽薄(けいはく)だ」
      彼は人一倍、他人に気をつかう。それがときに裏目に出て、私の父のような性格の人には、ご機嫌(きげん)とりとか、おべんちゃらと受け取られてしまう。
      彼を父に紹介したとき、それはあるレストランでのことだったけど、先に來て待っていた父に向かって、彼は、
      「パパーッ」
      大聲で呼びかけながら駆(か)け寄(よ)っていった。抱きつかんばかりの勢いで。彼としては、精いっぱいの親しみの表現のつもりだったと思う。私を愛してくれていればこその。
      父の目には、それが軽薄と映(うつ)ってしまった。
      父は、蕓能界での彼の評判について、いろいろと耳にしていて、好ましくない印象を抱(いだ)いていた。そういう色メガネで見ていたところに、そんな、なれなれしいあいさつをしたものだから、ますます眉(まゆ)をしかめてしまった。
      それから一ヵ月ほどたったころ、父の経営しているコロッケの店「梅辰亭(うめたつてい)」でボヤ騒ぎがあった。そのとき、彼は報道関係者からコメントを求められて(彼に感想を聞く筋合(すじあ)いではないと思うけど)、こう答えた。
      「ぼくが火をつけたんじゃありませんよ。アハハ……」
      父の受けがよくないことに気づいていた彼としては、ほんの軽いジョークのつもりだったのだろう。この発言が父の逆鱗(げきりん)にふれて、ますます墓穴(ぼけつ)を掘(ほ)ってしまった。
      彼が「お金持ちになるのが夢」と言っていたのも、苦労して自分を育ててくれたお母さんを少しでも楽にさせてあげたいという気持ち、それにもう一つ、自分をさんざんさげすんだ人たちを見返してやりたいという気持ちから出たものだと思う。
      一九九八年夏、沖縄のファッション?ビルにレストランや美容院などをオープンさせた。でも、そういう店を出すなら、まず需要(じゆよう)の多い東京でやってみて、成功したら、それを足がかりにして、故郷(こきよう)の沖縄にも支店を出すというのがふつうの順序だったと思う。
      父が知り合いの人に頼(たの)んで、沖縄に彼が計畫していた店が商売として成り立つかどうかを市場調査してもらったことがあったけど、結果はよいものではなかった。
      それを無視して、彼がいきなり沖縄に店を出したのも、「おれをいじめた連中を見返してやりたい」という気持ちがあまりにも強かったから。リベンジに燃える彼にとっては、沖縄でなければならなかった。その思いがあまりにも強すぎて、正常な判斷力をなくしていた……。そういうことではなかったのかしら。
      そうした背景まで含(ふく)めて彼の行動を見ていけば、それなりに納得(なつとく)はできる。それが正しかったかどうかは、また別の問題だけど。
      いまとなっては、親の言っていることは間違いではなかったなと実感できる。でも、そのときの未熟(みじゆく)な私の判斷力ではどうしようもなく、彼を助け、支(ささ)えることが自分の役割だと思っていた。ふつうの人なら、そこまではやらないだろうと思うようなこともやってきた。
      「おれはこの店を成功させて、借金を返したいんだ」
      そう言われたら、うなずくしかない。どこに行っても、彼の名前ではお金を貸してくれないから、私は何度か保証人の欄(らん)に自分の名前を書いた。
      當時、友だちの十人中九人までが、「やめたほうがいい」と言っていた。「アンナが苦労するだけだから」。殘りの一人は、「そんなに苦労したいなら、勝手にしたら」。
      私にとっては、ただまわりが騒いでるだけ、自分がかわいそうがられているらしいということもわかったけど、しょせん他人は無責任なものだからと、あまり相手にしなかった。あえて耳をふさいでいた。それが、よけいに自分自身を殻(から)に閉じ込める結果になったと思う。
      マスコミのバッシングが一番きつかったときに、ビートたけしさんから言われた言葉が、いまでもはっきり記憶(きおく)に殘っている。
      「みんなが祝福(しゆくふく)してくれたときに、初めて自分の気持ちがわかるもんだよ」
      そのころは、どういう意味かまるでわからなかったけど、つまり、みんなから反対されれば反対されるほど意地になってしまっているから、自分の本當の気持ちが見えなくなってしまっている、というわけ。
      「それでも、私、変わんないもん」なんて憎(にく)まれ口(ぐち)を叩(たた)いていたけれど、本當に彼のことを好きだと思っていたのは、五年間のうち半分の二年半ぐらい、殘り二年半は、完全に意地だけ。
      二人で旅行らしい旅行もしていない。日曜日にデートをしても、二人の會話の中身は「このスパゲッティ、おいしいね」ではなく、保証人やら金利計算の話。隣(となり)ではカップルが楽しそうに笑っているのに、私たちのテーブルだけが、まったく異様(いよう)な世界。二十一歳のときのままごとのような生活が、そんなに長く続くはずがなかった。
      沖縄に店を出す前、彼は世田谷の家を売って、私が借りていたマンションで生活することになった。そのころには、二人の心はほとんど離ればなれになっていた。
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